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飛騨市から離れていく人の特徴は?~『消化と熟成』 vol.2~

こんにちは。シンポジウムは続いていた~消化と熟成~第2弾です。

こちらの連載は、8月28日の関係人口と共創する地域の在り方について考える参加型シンポジウム2019夏 にて、会場から沢山いただいてた疑問や質問に、FCL(=future community lab)として応えていく試みです。

第2回は、ずばり、『飛騨市から離れていく人の特徴は?』です。好きになって地域と関係性が続く人もいれば、当然そうではない人もいますよね。色々な地域での悩みであると思いますが、私たちもそこについて改めて考えてみました。

目次

テーマ: 飛騨市から逃げていく人の特徴は?

投稿者様
投稿者様

飛騨市から逃げていく人の特徴は?

事務局<br>上原
事務局
上原

飛騨市に一度関わったにも関わらず、何らかの理由で離れていってしまう人の特徴、ということだと思いますがいかがでしょうか。

飛騨市ファンクラブ担当<br>上田
飛騨市ファンクラブ担当
上田

難しいですねw
地域に溶け込み切れなかった人やここにいていいんだという感じれていなかった人は定住しなかったように感じます。
例えば、↓な人?
地元民と衝突して和解しきれなかった人(フォローする人がいなかった。)
・飛騨市内で自分の居場所、役割を見いだせなかった人

上原
上原

ありがとうございます!

飛騨市に来た方や、もともといた方々が自分の居場所や役割を見つけるために、うまくサポートできた事例、うまくサポートできなかった事例などあるものでしょうか。(可能な範囲でもちろん大丈夫です)

上田
上田

例えば、仮にAさんとしておきます。
彼女は飛騨市内でプロジェクトを進めていましたが、都会的な雰囲気・価格・事業構想が当時地元内での理解・浸透が進まず2年ほどで飛騨を離れられました。

洞

本当にそうだったのかはわかりませんが、地域に受け入れられていない雰囲気を感じた、地元民との距離感がつかめず少し疲れましたということで去るときに言われたのが印象的でした。
でも、いまは別地域から飛騨での経験や人脈を使ってお仕事されて活躍されているので地元民としてはうれしいです。

上田
上田

地元民との距離間を縮めるべきなのか、一定の距離間を維持するのかはケースによって違いますが、A子さんの場合は地元民でフォローしてくれる人がいれば、もしかしたらうまくいったのかな~と感じました。

上原
上原

なるほど。地域側も外の方の受け入れに慣れていないと、せっかく関わってくれた方とうまく距離感がつかめず、疲れさせてしまうということがあるんですね。

2拠点生活<br>あやや
2拠点生活
あやや

飛騨市ではありませんが、私の例でいうと、

・安心してなんでも話せる友人を作れなかった。

よそ者感のある期間が長く、受け入れられている感じを得られなかった。

・相手に一歩踏み込むということをしようと思えなかった

馴染みの店ができなかった

・その土地の特定の人との関係が悪化した

などがありました。

上田
上田

いま、ちょうど市内のキーパーソン、不動産の方からお話が聞けました。
・地域内で居場所が作れなかった、相談できる人・友人が作れなかったというのが共通点だとおっしゃってました。
・生まれてから何十年も飛騨に住んでいる地元民が地域の文化や型にはめようとすることあり、それがうまくいかない理由の一つとして挙げられました。
・田舎なので噂話とかもあって良く思われていないと悲観的に感じてしまう方もいらっしゃるようです。

あやや
あやや

型にはめようとする、というのすごく分かります。そうされちゃうととても自分を変えろというスタンスが居心地が悪く感じるんですよね。

噂話も共感しますね。

あとは、過度な期待感を持って、あれしろこれしろなどアドバイスの嵐があるのも、少し苦手です。

上原
上原

アドバイス嵐!?

上田
上田

ありますよね、求められていないのに、アドバイスをしすぎて引かれちゃう。
年配者のみではなく若い世代にもあるかもしれません。よかれと思って、、だとは思うんですけどね。

あやや
あやや

ある種の土の人としての誇りの表れかもしれないのでいいことなのかもしれませんが、受け取り手は、少し心の訓練が必要かも。

上田
上田

お互いに訓練必要ですよね。
受け入れ側もなが~い目で柔軟にかかわってあげることや型にはめるのではなく、選択制を提案するとか。

あやや
あやや

そう思います(^^)

室長<br>舩坂
室長
舩坂

そういうところはFCLとしても地元の方に伝えていきたいメッセージですね。 これからより多様なかかわり方の方が増えてくれると嬉しいですね。

つぶやき

せっかく来て地域で何かをしようとしてくれた方が、お互いに意図しなかった形で離れてしまうということは、頻度の差はあれ、どんな地域でも起こりうることではないだろうか。

今回の議論を経て、改めて今まで起こったことを言語化できたと共に、これを新たな智慧として、自分ごととして、伝えていくことが大切だと実感した。

また、その後、話題は移住者や関係人口者を受け入れるための場所や、人の育成という話にも発展している(いわゆる”関係案内所”的なものにあたるかもしれない。)。既に、そういった案内人たちが地域外との様々な関係性を作って繋いでいっているのだが、先人たちに見習いつつ私たちも心地よい場づくりをしていきたい

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